奥道後ゴルフクラブの物語

Story1 作家・柴田錬三郎との物語

それは作家の呟きから始まった。

昭和40年なかばの、日本経済が高度成長の確かな足音を立てている時代であった。
巨漢と剣豪作家は波静かな瀬戸内海を眺めながら車を走らせていた。
車中での何気ない一言・・・こんな綺麗な瀬戸内海を眺めながらゴルフがしたいな・・・・
巨漢は即座に答えた。
・・先生、2年待ってください・・
・・先生がいつ松山に来ても好きなときにゴルフが出来るようにしてあげますから・・。
作家は巨漢の言葉に一瞬耳を疑った。
この男の言っていることが理解できなかったのだ。

その日のうちに巨漢の檄が飛んだ。

・・どのホールからでも瀬戸内海が眺められるゴルフ場を造るんじゃ・・。
・・瀬戸内海に沈む夕陽が一番綺麗に見えるようなところを探せ・・。
翌日にはヘリコプターが飛んだ。
空からの地形探しが始まった。
巨漢のもつ軍艦ホテルから30分で行ける場所が条件でもあった。
そして巨漢はもう一つの想いも抱いていた。
映画の大好きな男でもあった。
時代劇映画で観た美男剣士の「秘剣・揚羽蝶」である。
大小の剣を諸手に広げ、美しく舞う蝶の如く悪漢を倒す剣士の姿を思い浮かべていた。
コースの全貌はアゲハチョウがその羽根を広げたような姿にしたかったのである。

その場所は決まった。

伊予の国の豪族・河野氏の居城であった「風早の郷」である。
海からの侵略に備え、瀬戸内海を一望でき、
しかも後ろには高縄山を控える戦略的にも往時の伊予の国を治めるにはふさわしい絶好の地でもあった。
しかし、そこは武将の居城の地である。
守るに堅固な自然を利用しているのである。
山が二つ前後にそびえていた。
巨漢は言った。
・・山を削って、その土で谷を埋めろ。そうすれば大きな平地になる・・。
まさに破天荒である。
山を巡ってコースを造れば全ホールから瀬戸内海を見ることが出来ない。
二つの山は、その頂上が消えた。それでも谷は埋まらなかった。
おびただしい量の土が谷を埋める為に運び込まれた。
やがて、かつての風早の郷はその姿を変貌させた。
昔を偲ばせる城壁の石垣の名残が山腹のあちこちにその跡をとどめている。
かつて車を走らせた国道からは、
忽然と姿を現したゴルフ場をはっきりと目にすることが出来る。

作家はその生涯を閉じる直前に、自らの思い出を瞼に焼き付けるが如くこの地を訪れた。
まさに夕陽の沈む瀬戸内海に身を置き、刻々と変化する凪の海に映える夕暮れを、
たった一言の呟きからとてつもない夢を実現してくれた巨漢の友情に万感の思いを込めていた。
令嬢に腕を支えられ、巨漢の熱い眼差しに見守られ、真っ赤な瀬戸内海を眺めていた。
それから数日後、静かに作家は命の炎を消した。

その名を柴田錬三郎。

代表作・眠狂四郎で一躍世に知られ、次々と時代物を得意として
大作を発表し、剣豪作家の名を欲しいままにした人物である。

一方、巨漢の名は坪内壽夫。。

その後、再建王とも四国の大将とも呼ばれ、
作家・柴田錬三郎の作品では「大将」のモデルとしても登場した。
作家と事業家という境遇の違う二人の男の間にどのような友情が芽生え、育まれたのかは当の本人同士にしかわからない。
しかし、男と男の絆とはそういうものであろう。

時を同じくして坪内は、氏の作家仲間でもある・今東光和尚の勧めで
「歴史を金で買え」
の言葉通り、南国の木「フェニックス」や「ワシントン椰子」でコースを埋め尽くし、
由緒ある銘木・古木を全国から買い集め、
全コースに花の名前を付け、四季を花で彩るゴルフ場とした。

それ以来、柴田氏は仲間の作家を自由に呼び寄せ、
「作家専用のゴルフ場」として思いのままにプレーを楽しませた。
柴田錬三郎氏は男冥利に尽きたことであろう。
また、そのゴルフ場を柴田氏一人のメンバーとして一切を自費で作り上げた坪内も、
人並みはずれた男であったのだろう。
旧友の作詞家。星野哲郎氏も語る。
「もうこのような国士は、今のままの日本では現れてこないだろう・・・」と。

Story2 青木功プロとの物語

奥道後ゴルフクラブは、私にとって縁起のよい思い出のゴルフ場です。 奥道後ゴルフクラブは、私にとって縁起のよい思い出のゴルフ場です。

私はかつて世界的なプレーヤーを目指して何度となく海外遠征に挑戦したが、優勝できなかった。
そんな時、坪内壽夫さんの伝説を耳にし坪内さんを尋ねました。

坪内さんの伝説とは

伝説とは、坪内さんがゴルフを始めた頃、上達への早道と練習に励みにと、井関農機社長の井関邦三郎さんとの大きな賭けをして試合を続けたそうです。
坪内さんが瀬戸際に追い込まれ雌雄を決する日、彼の体調は最悪でした。
ところが、坪内さんのスコアは悪くなるどころか日頃の実力以上に好調で、井関さんに勝ったのです。井関さんは悔しさの余り以後ゴルフはやめたそうです。

武士道精神

何故、坪内さんは最悪の状態でありながらプレッシャーに負けずに勝てたのか、私は大変興味をそそられました。
坪内さんは「負けを覚悟して軽く打った」と、その心境を話され、スポーツにも通じる経営哲学を1週間にわたり伝授して下さった。
その後、私はアメリカツアーで念願の優勝を勝ち取ることができました。友人であるアメリカ大リーグのピート・ローズに話すと彼もまた「武士道精神」を学びに坪内さんを訪ねました。
私はスランプに陥る度に、この素晴らしいゴルフ場で坪内さんから教えを受けました。
世界の五指に入るコースでしょう。坪内さんの精神と縁起の良いゴルフ場は常に私の心にあります。

青木 功