
|
10番「椿ホール」には8,523本のツバキを植えました。ツバキを愛した池波正太郎先生、水上先生、佐野洋先生、新田次郎先生、安達瞳子先生らが自ら古木を集め、見事なホールに作り上げました。
永野重雄日本商工会議所会頭は、昔、侍がツバキを忌み嫌ったことからか、ご自身もツバキを嫌い、椿ホールに反対しました。しかし、作家の方々の執念は強く、永野会頭の意見も通用しませんでした。
水上先生は、金閣寺を復元した奥道後について、その著書「雁の寺」で触れています。奥道後とも関わりが深い水上先生が、椿の庄で育った日野富子を描いていることから、今東光先生の指示で、椿の庄(京都府綴喜郡田辺町の一休寺周辺)からもツバキの古木を取り寄せました。
また、ツバキは松山市の花として市民に親しまれています。

|